俺を釣れる奴はあるか?!

馬岱についての取扱い注意情報2題。

その1:馬岱の末裔が清代まで四川にいた?!

馬岱の子孫を称する人達が四川の西南部で元・明・清の歴朝を通して土着民の長を務めたという。

『明史』巻311 列伝199 四川土司一 黎州安撫司


洪武八年省漢源縣,置黎州長官司,以芍徳為長官。徳,雲南人,馬姓。祖仕元,世襲邛部州六番招討使。明氏(拙注:明玉珍ら)據蜀,紱兄安復為黎州招討使。明氏亡,蠻民潰散,紱奉母還居邛部。至是,四川布政司招之,紱遂來朝貢馬,請置長官司。詔以紱為黎州長官,賜印及衣服綺帛。十一年陞為黎州安撫司,即以紱為使。十四年,紱遣使貢馬。詔賜紱鈔五十四錠、文綺七疋。自是,三年一入貢。

四川の西南を代々治めていた芍徳という人が、元末以来の混乱が収まった後に黎州の長として明に入貢した旨が記されている。ここでは芍徳は「雲南人,馬姓」というのみだが、

『清史稿』巻513 列伝300 土司二 四川 建昌道提標轄


黎州土百戶,漢馬岱後.其先馬芍徳,於明洪武八年世襲安撫司.萬曆十九年,馬祥無子,妻瞿氏掌司事,與祥姪搆釁,降千戶.順治九年,馬高歸附,仍授原職.乾隆十七年,改百戶。

『清史稿』では唐突に「漢馬岱後」とされている。その根拠は以下に見える事件ではないだろうか。

清・彭遵泗 『蜀碧』巻3 起乙酉、止丁亥


〔順治2年〕黎州宣慰司馬京及弟亭,起兵討賊。初,賊以蜀人易制,惟黎雅間土司難於驟服,用降人為招誘,鑄金印齎之,易其章。馬京者,漢將馬岱後也,年十六,得印,擲之地,誓眾不服。時,偽遊擊苗姓率眾赴黎雅任,京密令通把調集番眾與亭攻之,擒偽弁七十餘人,於演武廳申明大義,斬首祭旗,起兵討賊。

同書巻4 起順治戊子、止仁皇帝康熙二年癸卯


〔順治7年〕劉文秀攻黎州,土於戶馬亭、李華宇等戰死。初,亭、華宇及楊起泰等,佐馬京破賊於龍觀川,賊敗去沈黎,不被寇者數年,京卒,亭襲為千戶。文秀至,竭力拒守,被執,不屈死。

清初、「漢将馬岱後」で黎州宣慰司の馬京と弟の亭とが「賊」こと張献忠に抗した。馬京が死んで亭が千戸を継いだが、亭は張献忠の部将・劉文秀に殺された。『清史稿』で順治9年に清に帰順して「原職」の黎州土司千戸を授かったとされる馬高は、馬兄弟の縁者のように思われる(初め馬高と馬亭とを同一視してみたが、さすがに無理があった...)。

そして、『明史』では「馬姓」とされるに過ぎなかった芍徳も、清初に「漢将馬岱後」の馬兄弟が登場したせいで、『清史稿』では黎州土司ごと遡って「漢馬岱後」とされるに至ったのではないだろうか(『明史』撰述の時期は『蜀碧』に先立つので、『明史』編纂時に『蜀碧』が参照されることはない。念のため)。

それにしてもなぜ馬岱の子孫を称したんだ?(清代になっていきなり「漢将馬岱後」といわれても困るので兄弟が自称したことにします)

同じ馬氏ならはるかにビッグネームである馬援の子孫でも名乗りたくなりそうなもんだと思うが、南方の攻略で功あった馬援は南方の民族には受けが悪かったのかも知れない。


その2:馬岱の字は「伯瞻」?!

その根拠は光緒32年(1897)刊『扶風県郷土志』らしい。確かに同書巻4・耆旧篇にその旨書かれている。▼だがちょっと待って欲しい。三国以来まったく知られていなかった事を清末の地方志だけを根拠に信じていいのだろうか。

『郷土志』と同趣の地方志で、嘉慶23年(1818)刊『扶風県志』がある。▼同書巻11・人物は『郷土志』耆旧篇と同様に扶風の名人たちの伝記の体をなしている。班固・班超・班昭ら班氏や耿況・耿弇ら耿氏、馬援以降の馬氏などを列挙する順序は両書とも同じ、字句もほとんど同じであり、『郷土志』が『県志』の大部分をコピペしたと思われる。

▼ここで両書の馬超馬岱に関する箇所を並べると以下の通り。

『扶風県志』巻11・人物


馬超字孟起,騰之子,兼資文武,勇烈過人。初在涼州,與曹操拒蒲阪,曹曰:馬兒不死,吾無葬地矣。後與從弟岱歸昭烈,拜左將軍。卒諡威侯。

『扶風県郷土志』巻4・耆旧篇


馬超字孟起,騰之子,兼資文武,勇烈過人。初在涼州,與曹操拒於蒲阪,操曰:馬兒不死,吾無葬地矣。後與從弟岱歸昭烈,章武元年拜驃騎將軍領涼州牧封斄鄉侯。謚威侯。馬岱字伯瞻,騰之從子。蜀漢拜平北將軍,封陳倉侯,諡曰武侯。

強い目のコピぺ臭が漂うが、馬岱の字と諡に言及した箇所だけは『郷土志』ではじめて提示された新情報ということとなる。▼『県志』の撰者は「字伯瞻」の情報を当時まだ知り得なかったか、知りながら敢えてオミットしたかのどちらかということ。

▼前者なら馬岱の字が清末に突然「判明」したことになる(嘉慶年間に知れていれば信憑性が増すというものでもないけど)。後者なら信憑性に乏しいと判断されたことになる。どっちにしろ「字伯瞻」は怪しいと言わざるを得ない。▼それに諡も孔明とモロかぶりの「武侯」とは怪し過ぎる。こんな諡とセットで出てきた字は信ずるに足りないというべきだろう。