『三国演義』は凄い

清代に限定した以下のようなエピソードだけ切り取って見ても、数ある中国通俗小説の中でも『三国演義』は抜群だと思わざるを得ない。

順治7年(1650)刊・満州語版『三国演義』巻頭に収められたドルゴンの諭旨


此書可以忠臣、義賢、孝子、節婦之懿行為鑒,又可以奸臣誤國、惡政亂朝為戒。文雖粗糙,然甚有益處,應使國人知此興衰安亂之理也。

文章は雑だけど鑑戒とすべきお話満載で役に立つからみんな読めよ。とオフィシャルなお墨付き。このドルゴンの諭旨に照らせば、最初から王朝ぐるみ『三国演義』ファンになる素地はすでに出来上がっていたといえよう。

陳康祺(1840-1890)『郎潛紀聞二筆』・巻10 國初滿洲武將得力於三國演義


羅貫中三國演義》,多取材於陳壽、習鑿齒之書,不盡子虛烏有也。太宗崇紱四年,命大學士達海譯《孟子》、《通鑒》、《六韜》,兼及是書,未竣。順治七年,《演義》告成,大學士範文肅公文程等,蒙賞鞍馬銀幣有差。

清朝は同じ頃に経史の満文訳も出させていた。これらの書物を満文に訳する事業には、占領政策の準備としての要素も多分に含まれていたとも思われる。と同時に『三国演義』が経史と比肩すべき存在と見られていたこともわかる。

以下は勝手に選んだ『三国演義』の軍事への応用事例ベスト3。

黄人(1866-1913)『小説小話』


小說感應社會之效果,殆莫過於《三國演義》一書矣。(中略)太宗之去袁崇煥,卽公瑾賺蔣幹之故智。(太祖一生用兵,未嘗敗衂。惟攻廣寧不下,頗挫精銳,故切齒於袁崇煥,遺命必去之。...)

明将の袁崇煥ヌルハチを苦しめていた。ホンタイジは宦官を介し崇禎帝をハメて袁崇煥を殺させる際、『三国演義』で周瑜が蒋幹を通じて曹操にガセを掴ませ蔡瑁を殺させた話に倣ったという。ちなみにこれを献策したのは『三国演義』を訳した範文程だったという説がある(http://big5.ifeng.com/gate/big5/news.ifeng.com/history/special/paohongyanchongnian5/articles/200811/1111_5010_872650.shtml。範文程の墓碑銘にみえるのは陳平の策だし、リンク先は献策した事実自体を否定する見解なんですけどね)。

『小説小話』


海蘭察目不知書,而所向無敵,動合兵法,而自言得力於繹本《三國演義》。

(スカパーとかでよくある通販CMのナレーションふうに)

読書の苦手な海蘭察(?-1793)さん。戦場では兵法どおりのマニューバーで向かうところ敵なし。秘訣は満州語版『三国演義』と教えてくれました。

『郎潛紀聞二筆』國初滿洲武將得力於三國演義


初、滿洲武將不識漢文者,類多得力於此。嘉慶間,忠毅公額勒登保初以侍衛從海超勇公帳下,每戰輒陷陣,超勇曰:『爾將材可造,須略識古兵法。』以翻清《三國演義》授之,卒為經略。三省教匪平,論功第一。蓋超勇亦追溯舊聞也。

(スカパーとかでよくある通販CMの独白ふうに)

海蘭察さん「職場の後輩にも満州語版『三国演義』を勧めました。喜んでくれたみたいで何よりです」
額勒登保(1748-1805)も海蘭察からもらった満文『三国演義』で兵略を習得して大いに軍功を立てたという。それにしても、いかついオッサンどもが小説を回し読みする様はなかなか微笑ましい。