中国縦断ウルトラ父老

楚の義帝は項羽によって郴州(現在の湖南省の南端)に遷都させられ、その途次に長江のほとりで項羽の追手に殺される。

史記』高祖本紀


〔漢王〕至雒陽。新城三老董公遮說漢王以義帝死故。漢王聞之,袒而大哭。

項羽によって漢中に左遷された劉邦は東進して洛陽に至り、董公という老人に義帝の死を知らされる。で「新城」がどこかといえば、

正義括地志云:洛州伊闕縣在州南七十里,本漢新城也。...

洛陽からそう遠くない場所にあたる。ところが、

西漢演義』第54回 董三老遮道説漢


姓董,人称董公三老,昔日曾在大江中救義帝屍,扶葬于郴州,今聞漢王兵到洛陽,領衆鄉老来見。...

明代の通俗小説『西漢演義』では、董公は洛陽の近くに住むという設定ではない。その代わりに長江で義帝が殺されるのを目撃し、遺体を郴州まで運んで葬り、洛陽で劉邦と面会した事になっている。毛沢東の長征ばりの機動力を発揮している。なお董公は作中で「臣年八十有余」と自称している。金文京氏は『三国演義』における地理感覚が所々怪しいと指摘されていたが、昔の小説は大抵こんなものかとも思う。バカにしてるんじゃなくて、GoogleEarthでも何でも見て世界の地理を簡単に把握できる現代人とは比ぶべくもないということ。